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概要

宗派・・・曹洞宗

大本山・・・永平寺(福井県)・總持寺(神奈川県)

本尊・・・釈迦如来

宗祖・・・高祖承陽大師(道元禅師)・太祖常済大師(瑩山禅師)

開山・・・提山見全大和尚(頼岳寺第十三世)

​​あらまし

開創は1340年(南北朝時代)前後に「元屋敷」地籍にお堂があり、それが泉長寺の前身とされております。その後、1428年に青柳に移り「青柳寺」と称するようになり、その後矢野口付近に移転されました。「青柳宿」より「金沢宿」へ宿場が移ったが寺も消失した為1654年に現在の地に移転し、寺名も「泉長寺」と改称されました。1776年に上原頼岳寺第十三世提山見全大和尚様により、正式に曹洞宗泉長寺とされました。現在の地に移ってからも4度の火災によりことごとく、堂宇を失い泉長寺の歴史は”火”との闘争史となりました。現在の本堂は平成13年に新築されたものです。
※写真は改修前の本堂

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​金鶏山泉長寺の由来

寺の上方に武田信玄採鉱があり、その鉱脈は鶏の形をしており金鶏金山と言われ、寺号はここからきたものであると言われております。また、寺名の「泉長」はこの一帯に、こんこんと湧く泉があることや、金山跡を水源とする泉があることから名付けられた。

​​鎮守

鐘楼堂横に第三世の代に勧請された正一位秋葉大権現があります。秋葉祭は火の神で泉長寺は数度の火災にあっている関係から、祀られています。
また、同場所に第七世の代に勧請された正一位稲荷大権現があります。金沢地区の商売繁盛と、お寺が栄えるために勧請されました。

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​金鶏学校(寺子屋)

明治の学生発布で泉長寺本堂を教場とした金鶏学校が明治6年(1873)3月25日開設。本堂内に7教室、そのほか職員室、役員事務室などが設けられ、明治20年(1887)に金沢学校が建築されるまで15年9ヶ月の長期に渡って本堂が学習の場となった。

​​お手つき石

山門入口の右側に「お手つき石」がある。
金沢宿の遺物で八世代に上々町の民家の屋敷から移した。
他郷から金沢宿に入ろうとする者は、
この石に手をついてその理由を述べる。
すると、名主ががきて申し出を聞き、
通すかどうかの判定をくだすための「お手つき石」。
当時は「御伝馬石」というものも宿の上下に1つずつあり、
これには殿様往来の時に宿役人をついて、
同宿役人であることを言上に及んだといわれる。

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